アミジャット 田島佑哉 × HAPPY ANALYTICS 小川卓 対談(1)フリーで受注できるようになるまで

広告運用者田島佑哉がフリーランスとして受注できるようになるまで

HAPPY ANALYTICSの小川卓対談企画。第ニ回のお相手は、提案型ウェブアナリスト育成講座第3期卒業生で、アミジャットの田島佑哉氏。

最初のテーマは『フリーで受注できるようになるまで』。


リスティング広告のスペシャリストとして活躍する田島氏の仕事ぶりについて迫ります。

進行役はエスファクトリーウェブディレクター兼HAPPY ANALYTICS 広報の井水朋子が務めます。

田島佑哉(たじまゆうや) 
1981年静岡県生まれ。2009年ゲーム会社、2013年インターネット広告代理店、2015年弁護士事務所、2017年アミジャットとして独立。上級ウェブ解析士、SEO検定1級 。企業のリスティング広告運用およびインハウス支援を行う。2019年提案型ウェブアナリスト育成講座三期修了。

コロナの影響が大きかった月は収入が1/6に

 

井水普段のお仕事について教えてください。

田島リスティング広告の運用代行を仕事をメインに、それなりに食べているフリーランスです。
広告運用の手数料が収入減なので、コロナウイルスの影響で広告出稿が減ってしまたので大打撃でしたね。

小川広告予算って真っ先に削られますよね。広告を出してもお客さんが買わないってなったらどうしようもないし、リスティング広告が止めやすいっていうのもありますよね。

田島一番減った月ですと、前年比で1/6まで減りました。

小川広告運用の代行では、何%かを手数料としてもらう感じですか?

田島僕はマージン制ではなく、工数に応じた固定の手数料をいただいてます。広告掲載が止まったら、手数料の収入もなくなります。お客さんからも「広告を止めることになって本当にすみません」って謝られたりと。ただ、状況が状況だったので広告は止めざるをえないと自分でも感じていました。僕から「止めませんか?」と提案することもありましたね。

小川最近戻ってきそうな感じはあります?

田島3~6月は新規のお問い合わせは全くなかったのですが、7月以降からは徐々にお問い合わせが戻ってきて、8月からは2件の新規契約が動きました。

小川業種によってだいぶん違いそうですね。

田島そうですね。この先の見通しが立たない企業も多いので、同じ業種でも守りに入るか攻めにいくかでも違うと思います。

小川コロナの波がきて、止まるなっていう予感はしていました?

田島2月の時点でニュースを見ながら、うちのお客様の案件のほとんどが止まるなって予想はしていました。最悪、稼働案件が0になることも覚悟していました。そして4月以降、やはり広告掲載が止まっていきましたね。

小川私も一社止まったかな。そこは分析とレポーティングを毎月定例でやっていて。グローバルな企業だったので、全世界で予算を一度止めてくれっていう感じでしたね。そこも落ち着いてきたのか、8月から再開しました。ITは打撃が大きいところは少なかったかもしれないですね。弊社の分析とコンサルでいえば変わらずって感じしますね。

田島先日、経済産業省の統計を見ましたけど、広告業の打撃は大きかったので、なかなか厳しいなっていう感じはします。

 

 

■ 特定サービス産業動態統計月報(PDF)

https://www.meti.go.jp/statistics/tyo/tokusabido/result/pdf/hv202006kj.pdf

 

 

田島今日も電車に乗ったら広告が少なかったので、広告の出稿金額が戻るまではもうしばらくは時間がかかりそうだなっていう感じはしましたね。(編集注:インタビューは2020年8月24日)

 

集中できる環境づくり

 

小川自宅で働いているということですが、どんな環境ですか?

田島うちはワンルームで、妻と二人、猫も3頭いるので5人暮らしです。ワンルームなので二段ベッドで生活しているんですよ。

小川二段ベッド!ちなみに、どっちが上ですか?

田島私が上です。テレビの前にカフェテーブルがあって、壁際に仕事用のちっちゃいスペースがあります。

小川やりづらいとかはないですか?

田島フリーランスになった当初は、自宅で仕事することに集中できなかったですね。でも、テレビに向かって座っていた席を反対方向に向けたら集中できるようになりましたね。

小川私も最初はリビングで仕事をしていたんで、テレビが横にあると集中できませんでしたね。「これは仕事」と言いながらちらちら気にしたり(笑)

田島リモートワークの導入が進んでいますが、自宅での生活と仕事を共存できるかは、人によって向き不向きがあるとは思いますね。

 

田島さんヒストリー

 

井水社会人になってからアミジャットを設立するまでのお話を聞かせてもらいますか?

田島まずは1981年に静岡県に生まれまして、当時は2,900グラムで。

井水そこから!(笑)

小川私と3つ違いですね~もうすぐ40歳なんですね!

田島大学生の時にマクドナルドのアルバイトにはまっちゃって、飲食業が大好きになりまました。特に藤田田さんという当時のマクドナルド会長が好きになり、藤田さんの本も多く読みまして。そのままマクドナルドに入社したかったんですけど、大学四年生の時に藤田田さんが退任されてしまい、「マクドナルドはもういいや」って感じになりました。でも飲食業にしか興味がなかったので、新卒でファミレスに入社しました。

小川ファミレスでは何してました?お店?

田島お店ですね。料理を運んだり作ったり、在庫管理やアルバイトのシフト管理などもしていました。でも24時間営業だったので”働くか、飲むか、寝るか”を繰り返してまして、2年ほど経ったときに、「これを続けていたら体がもたないな」と気づき転職しました。そこからは飲食業から離れて、テレアポ営業や飛び込み営業など、いろんな業種の営業職をしていました。

 

最後の営業職が東京ビッグサイトとかで展示会をする会社で、600社ほど集めて展示会を主催するような会社をしていました。その時にリーマンショックがあって、展示会に出る企業がガツンと減って、ショックを受けましたね。そのときに「これからはインターネットの業界で働くべきだな」と思いました。


ただ、当時は「インターネットの仕事をする」って具体的にはよく分かっていなくて、思い浮かんだECサイトの運営やカスタマーサポートなどの仕事に、片っ端から応募していました。とはいえ、ウェブの経験も知識も全くなかったので、なかなか転職するのは難しく、やっと採用していただいた仕事が、オンラインゲームのカスタマーサポートでした。

小川おもしろーい!

田島当時はネクソンやハンゲームなどが流行っていたころです。

小川怪盗ロワイヤルとかね。懐かしい。

田島最初はカスタマーサポートで、「ゲーム内のアイテムが消えたからすぐに戻して」や「ガチャの確率おかしいじゃないか」などの対応をしていました。その当時の年収が260万円でした。

小川それは安い。未経験だからですかねー。

田島当時私は20代後半で、年収も相当減ったんですけど、、。でも、まずは何でもいいからインターネットに関係する仕事をしたくて入社しましたね。
カスタマーサポートを3ヵ月ほどしていたら、社長がマーケ担当に異動させてくれたんですよ。「マーケ部の人員が足りない。営業経験がある田島ならできるだろう」と。

小川お、マーケティングの世界に入ったわけですね。

田島今思えば、ゲームの中のKPIってECサイトと同じなんですよね。

小川最後は課金だからね。

田島マーケ担当になってからは、ゲーム内のユーザー行動の分析と、ゲームの新規会員登録の集客を行っていいました。
新作ゲームのリリースが決まると、そのホームページ作成を社内のウェブ制作チームやデザイナーと相談することもあり。
ホームページのデザインの話になると「赤が良い!「青が良い!」といった感情論になってしまうことが多かったので、数字で話せる人がいないとダメだなと想い、ウェブ解析を勉強するようになりました。その流れで、2012年に上級ウェブ解析士の資格をとりました。

小川結構早いね。(編集注:ウェブ解析士協会の活動開始が2010年)

井水ゲームの解析はどんなツールを使ったんですか?

田島サーバーの生データを見ました。例えば、今日からガチャガチャというアイテムを売るという時に、その回転率をみて、公開して3時間くらいで「コレだめだ!」とかやっていました。

小川私もサイバーエージェントいた頃は毎月1日の0時に新しいガチャを出してたので、毎月1日の0時は会社にいましたね。最初の10分のデータを見れば結果がわかるので、0時10分にはミーティングをするか帰るかが決まっていましたね。

井水うわ、やだ。帰りたいです・・・(泣)

田島1分単位でお金が生まれるので、すぐに対応しないといけないんですよね。

小川ソシャゲは特にシビアだよね。直接お金につながっているから。

田島その後、その会社が大手に買収されてしまって、ゲームの開発部門は欲しいけど、私がいた運営部門はいらないということになったんです。
このまま別のゲーム会社に転職しようとも考えたのですが、当時はコンプガチャ問題もあり、別の業界に行く選択肢も入れて転職活動をしました。
ウェブ広告代理店も転職先の候補の1つでした。
ただ、ゲームのプロモーションで、広告代理店様にウェブ広告を出稿を依頼していましたが、提出されるレポートを見てもイマイチ分からない状況で。ウェブ広告の仕組みについては全然詳しくなかったんですよね。

小川事業会社の方だったのね。

田島大手のゲーム会社からも内定をいただいたのですが、ウェブ広告代理店に入社しました。ウェブ広告代理店の方は、転職活動した時期が2月後半だったので、代理店にとって猫の手にも借りたいくらい繁忙期だったこともあり、リスティング広告運用が未経験の私でも、応募してから1週間くらいで内定をいただきましたね。上級ウェブ解析士の資格を持っていたことも大きかったです。

小川そこは何年くらい?

田島広告代理店は2年半ほど勤めていました。代理店に勤めた後、また事業者側に戻りたくなって、ウェブマーケティング担当を募集していた弁護士事務所に転職しました。そこでは自社の中でウェブ広告を運用するっていう仕事もやっていたんですけど、なかなかお給料が上がらない諸事情があったので、弁護士事務所を2年ほど勤めてからスタートアップの会社に転職したんですね。

 

そこは年収は高かったのですが、スピード感や変化がすごく早くて、大変なところに入っちゃったなって悩んでいて、家に帰ると妻に色々と愚痴を聞いてもらっていたんですよ。「入社前に聞いてた仕事内容と、実際の業務内容のギャップが激しい…。でも今さらどうしようもないし、我慢するしかないかな…。」と。そしたら妻が会社に社長宛に電話をかけたんですよ。入社2週間のタイミングでしたね。

小川おぉ!奥さんはなんて?どうなってるんだって感じ?

田島妻曰く、事実確認をしただけって言ってました。社長宛に電話して、社長がいなかったので他の人と話したようです。「うちの夫はこうこう言ってますけど、本当ですか?」と。私はそのとき会議に出ていて席を外していたんですけど、席に戻ってきたら、人事の方から「ちょっと時間ある?」と言われて個室に呼ばれて。人事に「どうしました?」って聞いたら、「君の奥さんらしき人から電話がきて、こういうことがあったんだけど」「え、え、え、」となり…

小川田島さんは知らなかったんですよね?

田島そうです。まさかと思い、慌てて妻に電話したところ、「私は事実確認をしただけだ」と。妻にどんなことを話したのか聞いてみると、私が家で言っていた愚痴を全部伝えてしまっていましたね。
もう焦って、その日は直ぐに家に帰って妻と話をしました。


妻は「今にも電車に飛び込みそうなくらい悩んでいたから助けてあげた」って言うんですよ。僕はその時「もう会社にいられないよ!」と怒ったんですけど、妻は「今は怒ればいいよ。でも、いつか私に感謝するときが来るから」って言いました(笑)

井水それだけ心配していたんですね。

田島次の日の朝一に、役員全員と人事と私とで話し合いになり、私のほうから「こういう状況になってしまったので、申し訳ございませんが退職させて頂きます」と伝えました。そのまま近くの100均で封筒と用紙とハンコを買って、退職願いを書いて提出。一瞬で無職になってしまいました。

井水奥さんがなかなかの強者じゃないですか?

田島ファンキーですね。僕とは真逆のタイプ、直感で即行動するタイプの人間ですね。

小川フリーランスになるきっかけは?

田島妻の後押しというか、崖から突き落とされたことですね。35歳で会社を2週間で辞めてしまった人を中途採用する会社はもうないなと思いました。また、貯金も無かったので、時間をかけて転職活動することも難しかったです。なので、アルバイトをしながらでも自分でリスティング広告運用の仕事を直接受注して手数料を貰ったほうが、生活を続けられる可能性はあるなと思いフリーランスになりました。

 

フリーランスになりたかった訳じゃなく、会社員としてはドロップアウトしてしまったのでフリーランスになるしかなかったという感覚です。

小川それまで全部で何社くらい転職していたんですか?

田島10社以上は転職していましたね。継続性がないというか、会社員としての適性がないというか…。

小川それと比べて、今フリーランスになってどうですか?戻りたいとかあります?

田島今はないですね。会社員としての適性がないので、フリーランスの生活が自分には合っています。普通に会社員を続けていたら「フリーランスになろう」って気持ちが起きることは絶対になかったので、妻の言葉の通り今は感謝しかないです。

 

フリーで受注できるようになるまで

 

田島2017年9月にフリーランスになったんですけど、最初の半年は広告代理店にアルバイトのような契約で常駐していました。常駐の仕事をしながら、夜や土日の時間を使って自分でホームページを作成して、そこからお問合せがくるようになりました。

小川いいですね。ホームページでお仕事がくるようになった経緯は?

田島最初はウェブ広告を出稿してお問い合わせを集めようと考えていました。なので広告用のランディングページだけを用意しようと。ただ、制作会社に依頼できるほどお金に余裕は無かったので、なら自分でホームページごと作ることにしました。

小川お問い合わせはいつぐらいから来るようになったの?

田島ホームページを公開して3か月くらいでお問い合わせがきて驚きました。1日10アクセスほどしかなかったのですが。当時はまだサービスの説明資料も作っていなくて・・・

小川どどどうしよって感じだね(笑)

田島あとホームページを作ろうと思った切っ掛けの1つが、ホームページを持っているフリーランスが少ないことに気づいたからです。
ランサーズやクラウドワークスとかの案件に募集しているフリーランスのプロフィールを見ると、TwitterやFacebookページ、無料ブログを持っている人はいても、独自ドメインのホームページを持っていない人は9割ほどいました。
だからホームページを持てば、フリーランスの中で上位10%にはなれると思ったんです。

小川田島さんも応募しているの?

田島単価が安い案件ばかりなので、応募はしていないですね。ただ応募するとしても、ホームページを持っているかどうかは信頼に関わるので、作るべきだなとは思います。

小川田島さんはゲーム会社でホームページ制作もやってたんだったね。

 

田島いや、私はホームページのワイヤーフレームを作ったり、中身のテキストを用意するだけでした。ホームページの作り方は全く分からなかったので、色々と調べてドメイン取得やサーバー契約、ワードプレスも自分でインストールしてなんとか作りました。あとはホームページに、サービス内容と価格表を書いたサービスページを用意して、お問合せフォームを作って、空いてる時間にブログを書いていきました。

 

小川私もホームぺージに金額を出した方がいい派だけど、すごくわかるよ。逆の立場だったら、金額が書いてあった方が楽だもんね。

田島自分1人で対応できる件数が限られることを考えると、ホームページに金額を出すことでフィルターされたお問合せがくれば、対応の工数が減りますね

小川交渉がなくなるし、コンペになりづらいのもいいよね。

井水SEO検定をとったのもそのころですか?

田島はい。フリーランスになってからです。
ブログ記事を2、3つほど書いたら、少しづつアクセスが発生して、ブログを続けたらウェブ広告を出さなくてもお問い合わせがくるんじゃないかなってなって考えて、そこでSEOにも興味を持ちました。
自分のホームページのアクセス数を増やすためにSEOを勉強してみようと、その1つとしてSEO検定を受けました。
あとは、検索連動型広告を運用する際にSEOの仕組みも把握していた方が良いので。

井水記事を2,3書いてお問合せがくるってさすがですね。広告業界だと競合も多いですよね。

田島当時はSEOを意識してブログを書いている広告代理店が少なかったからだと思います
広告代理店のブログ記事って運用者向けのものが多いので、いかにお客様が検索しそうなキーワードを想定して記事を書くか、ブログ記事の内容のバランスが課題ですね。
僕も広告運用のマニアックな内容を書いていると楽しいんですけど、妻からは「広告運用者が読む記事を書く前に、お客様向けの”リスティング広告とは”を書けよ!」ってずっと言われていて…。未だに書いてないですけど…。

小川ブログは効果あると思いますね。私も2008年からウェブ解析のことを書き始めて、本の依頼もセミナーやお仕事の案件もそこからでしたねー。ちゃんと書いている人がそれだけ少ないっていうのはありますね。月4本とか5本とか書けばお問合せはしっかり来ますよね。

田島広告運用のブログを更新している広告代理店って、意外と少ないですよね。ヘルプページを引用したような「〇〇〇とは」のブログ記事だけじゃなく、代理店独自のノウハウや考察のブログを書いているところは5社くらいしかない印象です。なので、フリーランスでも独自の内容のブログを書けば目に止まるのかなと。

 

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